考察:乃木坂46 ドキュメンタリー映画第2弾 『いつのまにか、ここにいる』

    0.はじめに

    普段は乃木坂のライブ演出考察を専門としている本サイトであるが、まれにアイドルドキュメンタリーの考察も行っている
    今回は2019年7月に公開された、乃木坂のドキュメンタリー2作品目『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』見返したので考察していきたい

    そして本作は2022年10月現在アマプラの見放題に入っているので、まだの人はこちらから是非見ていただきたい
    後述するがメンバー、特に飛鳥ちゃんの魅力が分かりやすく伝わるので飛鳥ちゃん推しの人には特におすすめする
    ※以下、多少のネタバレを含みます

    1.全体感

    全体感としてはほかのアイドルドキュメンタリーと比べて、かなりテーマが複雑で見えにくいという印象がある
    アイドルドキュメンタリーの定番といえば、メンバーの成長を描くものだろう
    例えば以下の記事で考察した、先日まで公開されていた日向坂のドキュメンタリー『希望と絶望』はその色が濃い
    ・考察:日向坂46 ドキュメンタリー映画第2弾 『希望と絶望~その涙を誰も知らない』

    ただこの映画冒頭でも触れられていたが、すでにトップアイドルになっている乃木坂46(時期的には2018年秋〜2019年春あたり)を題材としているのでそんなに単純なテーマにはできない
    テーマが複雑に絡み合う中、私が強く感じたのは「トップアイドルの苦悩」「齋藤飛鳥の魅力」の2つであった
    この点について深く考察していきたい

    2.トップアイドルの苦悩①〜乃木坂46の自分と等身大の自分

    トップアイドルの苦悩はいくつかの小項目に分類されるように思う
    今回はその中でも強く感じた「乃木坂46の自分と等身大の自分」と「卒業」という項目を取り上げたい

    一つ目として「乃木坂46の自分と等身大の自分」といつ項目を考察していく
    さらに複雑なのはメンバーが多く世代がバラバラならグループゆえ、この項目への反応も一律ではない

    まず分かりやすいのは3期・4期の描かれ方である
    彼女たち若い世代は「乃木坂の自分」と「等身大の自分」が一致した存在として描かれている
    「素のじぶんでアイドルをしていると語る」桃子ちゃんの発言や、一つのミスで自らを全否定してしまうせいらちゃんが具体例である
    ドキュメンタリーにもあったが、存在ごとぶつかっていけばズタズタに傷ついてしまうという意味で苦悩は大きい

    一方で1期生は少し異なる描かれ方をしていた
    どちらかというと「乃木坂の自分」と「等身大の自分」を切り離して考えているようだった
    印象的だったのは乃木坂として見られている自分を俯瞰的に語るなあちゃんや、過去の自分をさも他人事のように話す飛鳥ちゃんであった
    このメンタリティであれば、仮に「乃木坂の自分」を否定されていても「等身大の自分」とは異なるものとしてメタ認知しているのでズタズタに傷つくことはないだろう

    ただ彼女たちは苦悩と無縁かと言われるとそうではなく、「乃木坂の自分」と「等身大の自分」の捻じれに起因する歪みの影響を受けていた
    例えばなあちゃんは常に乃木坂の自分として見られていると語り、それ以外の自分は何もないとまで語っていた
    飛鳥ちゃんは乃木坂の自分がおさまったキャラクターが好きではないと語っていた
    全否定した過去の自分と対面を果たす成人式参加は、等身大の自分との擦り合わせをしようとしていたのではないか
    おそらくこの歪みとその向き合い方こそがこの映画の主題であろう
    エンディングテーマである『僕のこと、知ってる?』の歌詞ともこのテーマは共通しているように思う

    ではこの歪みの解決策はあるのだろうか?
    当時は明確には気づかなかったか、今の僕は答えに近いものを見たことがある
    それは『僕のこと、知ってる?』と共通テーマを歌った『他人のそら似』の歌詞の中で描かれているように思う
    本当の自分や相手が誰かわからなくても「君は君だよ」と認めあえたら…
    問題が全解決したわけではなくても、ずっと気持ちが軽くなるのではないか

    3.トップアイドルの苦悩②〜卒業

    この時期はメンバーの卒業が相次いだ時期でもあり、卒業も苦悩の一つとして描かれていたように思う
    これも卒業する側と見送る側で少し見える景色が違う

    卒業する側の難しさはなあちゃんの卒業を通じて詳しく書かれていたように思う
    先述の通りなあちゃんは乃木坂としての自分がいつからか全てであったように語っていた
    そのねじれを解消するのが卒業という選択だったのかもしれない
    実際にドキュメンタリーでは自分の脚で立ちたいと願うことが卒業なのではと描かれている

    一方で見送る側の心情も単なる寂しさを超えたものがあると感じている
    ドキュメンタリーの一章で描かれた「仲の良さ」、それは乃木坂で活動するメンバーのモチベーションの大きな部分を占めていた
    例えばれいかちゃんが「(在籍している理由は)思い出がほとんど」、いくちゃんが「メンバーの待っているよという言葉が全て」と語るように、仲が良いメンバーと苦楽をともにできるというのがこの時期の一期生のモチベーションの大部分を占めていた

    そしてここは「等身大の自分」問題とリンクしているように私には見える
    「等身大の自分」がわからなくても「君は君だよ」と認め合える存在が、もし遠くへ行ってしまったら…
    それ故にメンバーの卒業は寂しさというレベルではなく、苦悩に近いレベルのものだったのかもしれない

    4.齋藤飛鳥について

    この映画の主人公は誰か?
    なあちゃんにもスポットは当たっていたが、誰か1人を選ぶならこのドキュメンタリーで存分に魅力を描かれていた飛鳥ちゃんだろう

    それではここで言う飛鳥ちゃんの魅力とは何か?
    一言でいうとそつなくこなしてるふうに見えるが、裏では不器用で優しいところだろう

    • 成人式のシーンに代表されるように、決別したはずの過去の自分を割り切ることができず、もう一度向き合おうとする不器用なところ
    • 懐いてくる桃子をはじめ、メンバーに対して素直になれないところ

    ちなみにこのときの桃子への素直な思いは下記ライブで詳しく述べられている
    ・2021/08/22 真夏の全国ツアー2021 福岡公演Day2~大園桃子卒業セレモニー

    クールに乃木坂を引っ張る飛鳥ちゃんも好きだけど、深いところで優しくてちょっと不器用な飛鳥ちゃんだからファンは支えたいと思うのだ

    そして飛鳥ちゃんの魅力を存分に詰め込んだ描き方はらかなり意図されたものなのではないか
    背景的にも長年エースとして引っ張ってきたなぁちゃんが卒業し、飛鳥ちゃんを中心として固め直す必要がある時期であった
    (実際この時期に発売された『Sing Out!』でも飛鳥ちゃんはセンターを務めている)
    そしてドキュメンタリー冒頭とラストに差し込まれた「飛鳥」をイメージさせる飛び回る鳥の映像が何よりの証拠だろう

    このドキュメンタリーを見て、改めて飛鳥ちゃんが乃木坂のエースでいてくれてよかったと思った

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