テーマ考察

考察:なぜ2期生は不遇と言われるのか 不遇と言われたあなたたちへ~鈴木絢音卒業によせて

1.はじめに

来る2023年3月28日、ついに最後の2期生絢音ちゃんが乃木坂を卒業する
2期生推しの私としては、1期生を見送るまでいてくれてありがとうとしか言えない

苦難もあった乃木坂の歴史だが、とりわけ2期生の歴史はまっすぐ進めなかった
研修生制度に始まり、全員選抜落選、3期以降の躍進などとうまくいかない時期も続き「不遇」と言われることも多かった
憧れていた先輩たちのように活躍できない葛藤もあっただろう
それでもあるものはラジオに活路を見出し、あるものは舞台で演技力を身につけ、そして辞書好きを生かし書籍を出版するものも現れた

3月28日、絢音ちゃんの雄姿と我々2期生推しが愛した何度でも立ち上がる人の物語の最終章をしかと見届けたい

長々と絢音ちゃん卒業について個人的な思いを語ってしまったが、ここからは2期生の不遇と超克の物語について考えていきたい
この記事だけでも完結するように書いていますが、以下の記事の後編という扱いでもあるのでよかったらこちらも読んでやってください
・考察:乃木坂らしさを要素分解して考える〜3期・4期それぞれの乃木坂らしさ

2.2期生の不遇を考える~組織外評価について

2期生は「不遇」と言われることがよくある
しかしどのような側面が不遇と言われるのか
よく取り上げられるのは以下ではないか

  • 研究生制度が設けられ、正規メンバーに昇格するまで楽曲に参加できないなど不利な立場におかれた
  • 選抜に入るメンバーが少ない
  • 運営にプッシュしてもらえない
  • 期別ライブが組んでもらえない
  • 期別楽曲がエキセントリックで、なかなかファン人気を獲得しにくい

まず乃木坂において研究生が設けられたのは2期生だけである
その間はこちらの記事にあるように、クリスマスライブで選抜メンバーが乗るそりをひくトナカイ役ですら取り合いになっていた
一方で3期生以降は期別活動中心の期間が設けられ、期別ライブなども積極的に行われている
なお2期生の期別ライブが企画されたのは4期生も加入してしばらくたった、2020年になってからである(しかも新型コロナウイルス流行で幻に…)
比較すると加入当初の扱いにはかなり差があるのが理解できるだろう
ただし3期生は期別活動が多かったことで「まだ乃木坂として認められていない」など葛藤したようなので必ずしも3期生以降がパラダイスではなかったことは補足しておく

次に選抜について考えるにあたって、選抜シングル数を加入後のシングル数で割って50%を超える場合選抜常連メンバーと定義したい
また選抜常連メンバーが各期のメンバーでどのくらいいるかを選抜率として定義する
この場合乃木坂2期生選抜率は約14%となる
ほかの期の選抜率は1期:約47%、3期:50%、4期:約37%であり、比較するとこの数値がかなり低いことがわかる
ただ実はAKBグループ等と比較すると、乃木坂2期生レベルになる世代も少なくない
それでも乃木坂はAKBグループと比較して頻繁にオーディションを行っているわけではないので、それを加味するとかなり低いといえる
しかも1期生は『バレッタ』以降でアンダー常連となっていたメンバーを順に選抜経験させていったが、2期生はそのような措置はなく選抜未経験で卒業したメンバーも少なくない
このあたりも不遇と言われる要因の一つである

ただし乃木坂内で比較すると不遇が見えてくるが、実はAKBグループではむしろ2期生のような育て方は主流だった
実際にAKB系列各グループでも新しい世代のメンバーは研究生を経験させているし、大量採用のため選抜率が10%台に落ち着く世代も少なくない
アイドル界のホワイト化と競争よりも協調を重んじる乃木坂カルチャーがあいまって、この育成方針が不遇とみなされるようになったのだろう
まとめると乃木坂の育成方針が確立していない中、AKBグループと似たような放任主義で荒波に放り出されたのが2期不遇問題の一つの柱となると考える

ここまではよく言われる話であるが、この組織外評価の話だけでは片手落ちだと考えている
私はもう一つの不遇の柱として、組織内の立ち位置確保がうまくいかなかったことを挙げたい
そして2期生採用時点で宿命づけられた、結構根深い問題だったのではと考えている

3.2期生採用は失敗だったのか~組織内評価について

組織内評価について考えるにあたって、少し観点を変えたい
不遇と言われ、選抜率も低かった2期生の採用は失敗だったのか?

成功失敗の判断基準として、採用の目的が達成されたのかで判断していく
そしてその目的は「1期生に刺激を与えて、グループの成長につなげる」ことだと思っている
そう考えた根拠は3つある

1つめはメンバーの補充が必要な状況でなかったことだ
2期生オーディション時点で1期生は33人おり十分大所帯であった
AKBグループは専用劇場があってチーム制を敷いているためもっと人数が必要だが、乃木坂は劇場がないので特に拡大路線をとる必要がない
もっというのであればアンダーは積極的な活動が始まっておらず、メンバー数は持て余し気味であったくらいだ
(実際に中田は4thシングルで選抜落ちした際に2週間まるまるオフになり、パズドラを無課金で極めていたというエピソードを乃木どこで語っていた)
またこの時点で1期生の年少メンバーはまだ中学生であり、世代交代を見据えてというのもかなり無理がある
採用結果としても2期生で飛鳥ちゃんより年下なのは、絢音ちゃん・米徳ちゃん・みり愛ちゃんの3人だけだった

2つめは当時の乃木坂には競争や変化を強いる文化があった
AKBより激しく競争させようと初期乃木どこではメンバーを週ごとに入れ替えたり、またプリンシパルで毎日投票にさらされたりなどなかなかタフな文化があった
そういった考えを持つ運営サイドが、新しいメンバーを入れて奮起した現メンバーと競わせようと思うのは何ら不思議ではない

3つめは『バレッタ』のMVである
まいやんを堀ちゃんが銃で撃つという、なかなかパンチの強いシーンで締めくくられている
しかし2期が1期に対して刺客として送り込まれたことがわかる象徴的なシーンであった

話を戻す
「1期生に刺激を与えて、グループの成長につなげる」という目的については十二分に達成されたと考えている
実際まいやんはバナナムーンで「2期生から抜擢されて悔しいと思った」と発言しており、クールなイメージのななみんですら悔しくて泣き「やっぱり1期は違うね、力があるね」と思ってもらえるよう成長していきたいとブログに記載している
このように採用目的が達成された以上、2期生採用は成功と言えるのだろう

しかし既存メンバーの奮起を期待するという採用方針は、言ってしまえば当て馬的な要素が強い
そのため2期生にかなりの負担を強いることになり、結果として2期生は組織内での立ち位置確保に苦労したように見える

人が組織に後から加入して立ち位置を築くとき、方法としては3パターンあると考える
具体的には①先住者に入り込み同化する、②徹頭徹尾後輩として振る舞う、③圧倒的な結果を出すである
③はすごすぎる人以外立ち位置確保まで時間がかかるので、実際には①か②で立ち位置を確保することが多いだろう

しかし2期生は加入の経緯上①も②も長期間とりえなかったと思う
まず①をとりやすい環境としては断続的に人が入ってきて、期の違いが分かりにくくなる環境が考えられる
初期のAKBとか半年おき程度でオーディションをやっていたのでこの戦略がとりやすい環境だったと思う
一方で乃木坂は2期の加入から3期の加入まで3年半近く空くので、この戦略がとりにくい環境だったように思う
とはいえ②がとれるかというとそれも難しい
2期生は立場を脅かす「敵」として加入してきているので、1期は先輩としての余裕を持てず、また大人からも2期生は1期のライバルであることが求められた
結果として初期メンバーにも後輩にも長年なれず、かなり立ち位置の確保に苦労したのではないか

4.2期生の物語~何度でも立ち上がる者たちのストーリー

前章で述べた通り、①②での2期生の立ち位置確保は困難だった
その結果③結果を出すことによって立ち位置を確保するというトライをそれぞれ行った

  • あるものは将棋を突き詰め、一躍その世界で名が通った人となった
  • あるものは舞台を極め、関係者から一緒に仕事がしたいと言われるまでになった
  • あるものはライブパフォーマンスを磨き、センターを務めるアンダー曲を全体ライブの代表曲とするまでに成長させた
  • あるものはスタイルを生かして、ソロでモデルをできるまでになった
  • あるものはアニメ好きが知れ渡り、声優として一歩踏み出し始めた
  • あるものは深夜ひとりで話し続け、根強いファンを獲得した
  • あるものはファッションにこだわり、卒業後お店を持つまでに至った
  • あるものはクイズやラジオで活躍し、乃木坂で一番外仕事がもらえる人になった
  • あるものは得意のダンスに磨きをかけ、後輩たちにも憧れられる存在となった
  • そしてあるものは突然言い渡されたセンターのプレッシャーをはねのけ、乃木坂2期生のエースとして戦い続け、彼女たちの魅力を広め続けた

その結果は皆さん知っての通りだろう
彼女たちの努力は多くの人の心を動かし、1期生に「同志」と言われるまでに至った

5.2期生と乃木坂らしさ

前回の記事で期別の乃木坂らしさについて考察したが、2期生のストーリーは乃木坂らしさに組み込まれたのか
私は大変残念だが、乃木坂本体のストーリーに組み込まれていないと思う

2期生のストーリーとは一言でいうと、「不遇と挫折を知ったものが、感情に折り合いをつけながらそれぞれが自力で乃木坂内外の立ち位置をつかみ取る」というものになるかと思う
しかしこれはいくつかの側面から乃木坂本体のストーリーに組み込みにくい

まず二期生を刺客のポジションに置いたのは、「仲間」を重視する乃木坂本体のストーリーに組み込むとコンフリクトが起こる
また後継者が出てこないことも乃木坂全体というより、乃木坂2期生の中に閉じたストーリーになってしまう要因だ
(この観点については、不遇を経験するメンバーが出てこない方が良いので出てくるべきではないとも思う)
さらに前章で10通りのストーリーを記載したように高度にそのストーリーが属人化されているため、演出で後継者のように見せるのも難しい

このような理由から2期生のストーリーは2期生に閉じたものであり、乃木坂らしさには組み込まれなかったと考える

6.新4期生と乃木坂らしさ

本題については以上だが、最後に関連して新4期生についても触れたい
2期生を継ぐ者が現れるとしたら、新4期生だったと思う
実際に以下のような不遇が想定できる

  • 坂道研修生という、研究生に近い期間が設けられていた
  • 3期生や旧4期生が経験したような、運営がプッシュしてくれる期間がほぼなかった
  • プリンシパルやお見立て会など、新4期が経験できなかったイベントがある

そして彼女たちがそのハンデを克服し、力をつけつつあるのも確かだろう

それでも新4期生が2期生の後継者となることは難しいと考える
それは新4期が新4期らしさを主張するということは、旧4期生との違いをつぶだてる行為にほかならないからだ
4期生は「仲間」を中心とした世界観を作っているので、違いを際立てる行為はNGだろう

それゆえに新4期の乃木坂らしさというものも、存在しえないと考える
彼女たちは4期の乃木坂らしさの構成員とみなされるのだろう

前回の記事で語ったように多様な形の乃木坂らしさがあるが、乃木坂らしさが包含できなかったストーリーがあることも忘れてはならない

考察:乃木坂らしさを要素分解して考える〜3期・4期それぞれの乃木坂らしさ

1.はじめに〜11thバスラ反響への違和感

今回のテーマは乃木坂らしさというものだが、考えるきっかけとなった11thバスラについてまずは触れたい
なお11thバスラの考察は以下にまとめており、読んでいただけると今回の理解が深まると思うので是非
・考察:乃木坂46 11th YEAR BIRTHDAY LIVE (11thバスラ)Day1-5

11thバスラ期別ライブに対する私の感想を極端にまとめると「どの期も良かったけど、3期ライブこそ至高!乃木坂らしさの体現!!」という感じだった
もちろん4・5期も良かったけど、3期ライブでは個人的には段違いに魂震えるほど感動した
それほど周囲の意見と外していないと踏んでいたのだが、案外4期ライブこそが乃木坂らしくて良かったという層も多くギャップを感じた
(なお5期ライブが良かったという層も多かったが、主題となる乃木坂らしさとは関係なさそうなので今回は触れない)

私は今まで乃木坂らしさを「内気な女の子が仲間を得て強くなる」と定義していた
しかし改めて考えてみると、そんなに単純なものではないのかもしれない
「内気」「仲間」「成長」という要素については概ねうまく分解できていると思っているが、これらの要素がバランス良く入っているのではなく時代やシーンに合わせてかなりダイナミックに変化しているのではないか
そして4期ライブは私があまり取り上げてなかった乃木坂らしさに溢れており、4期ライブが良いと言っていた層にはその側面が刺さったのではないか

そこで今回は3期•4期それぞれの乃木坂らしさを紐解いていき、多義語としての乃木坂らしさを考察していきたい

2.3期生と乃木坂らしさ

3期生ライブで強く感じた乃木坂らしさは、以前わたしが定義していた「内気な女の子が仲間を得て強くなる」というストーリーに限りなく近いものだった
「内気」「仲間」「成長」という要素が割とバランスよく散りばめられていると思うが、どの要素が強いかと言われると「成長」だろう

今回の3期ライブ、一言で言うなら主題は「もっと強くなって乃木坂を引っ張ります」という決意だったと思う
もちろんその決意の前提として同期を中心とした「仲間」への信頼がある
また「内気」の要素は本ライブではあまり出てこなかったが、『僕たちは居場所を探して』のドキュメンタリーではきちんと触れられいたと記憶している
この仲間に対する信頼と圧倒的な熱量・上昇志向は、かつて生駒里奈が西野七瀬が仲間の力を借りつつ、グループを大きくしようとしていた光景を思い出した

敢えて1期生との違いを挙げるとすると、3期には生駒ちゃんやなあちゃんのような象徴的存在はいないように見える
それでも『三番目の風』の歌詞のように、1人じゃ無理でも力を合わせ乃木坂らしさを体現していたのではないか

3.4期生と乃木坂らしさ

4期生ライブでは私は「内気な女の子が仲間を得て強くなる」というストーリーをあまり感じなった
それは「内気」「仲間」「成長」の中で、「仲間」と言う要素に集中的にフォーカスが当たっていたからではないか

キャッチーな4期曲でわちゃわちゃ騒いでる様子は本当に仲の良さを感じさせるし、さくちゃんがほかの15人を紹介していく演出も「仲間」を強く意識させるものだった
実際こちらでまとめられているように、蓮加ちゃんが4期が仲良くしている様子を見て羨ましいと言っていたくらいなので本当に仲良いのだろう
一方で「内気」はさくちゃん以外にはそれほど感じず、また「成長」というよりは今このライブを楽しむ側面の方が強く感じられた

しかし今から振り返るとこれも乃木坂らしさの一つの形だと思う
私は自分自身が定義した乃木坂らしさに縛られていただけで、これも一つの乃木坂らしさだということを見落としていた

4.それぞれの乃木坂らしさの形成を考える

ではなぜこのような乃木坂らしさの違いが生まれたのか
私はこれは見てきたものの違いと捉えている

大前提として3、4期は乃木坂が大きくなった後に加入してきたメンバーで、乃木坂になりたくて入ってきた子たちである
先輩の作り上げた空気感に染まっていくのは必然だろう
しかし3期生が見た乃木坂と4期生が見た乃木坂は質的に少し違うものだったと思う

3期が入ってきたころの乃木坂は象徴としてなあちゃんや生駒ちゃんがいたように、まだまだグループを大きくしていこうという上昇思考に溢れた集団だった
「内気な女の子が仲間を得て強くなる」というストーリーがわかりやすく生きていたころである

一方で4期生が入った頃の乃木坂は成長しきった感じが出ており、成熟した集団であった
物語の主人公としての生駒ちゃんやなあちゃんが卒業し、「成長」「内気」という要素が弱まり「仲間」が残った
この時期の乃木坂というコンテンツの肝は、まいやん・さゆりんご・かずみん・真夏さん・いくちゃんらがわちゃわちゃしてる姿であり、我々はそれを尊いと思っていた
わかりやすいストーリーこそないものの、このわちゃわちゃした姿も乃木坂らしさの一つなのだ

そして前者は今の3期生に、後者は今の4期生とかなり近い空気感があると思う
1期生が築いてきたそれぞれの時代の乃木坂の空気感を、3期4期が継承したと考えるのが自然ではないか

4.それぞれの乃木坂らしさの評価

この章では生駒ちゃん・なあちゃん=3期の乃木坂らしさと、まいやん・さゆりん=4期の乃木坂らしさについて評価していきたい
(1期のメンバーはその空気感の中心にいたメンバーを取り上げている)

評価を始める前に先に言及しておくが、優劣があるわけではないことは前提として理解しておいていただきたい
性質の違いが存在するだけである
ただ私も人間なので好みが入ってしまう分もあるだろう…
先述のとおり私は3期生ライブが好きなタイプの人間なので、やや贔屓目が入る可能性がありそこは割り引いて受け取っていただきたい

この2つの乃木坂らしさの1番の違いは「物語の有無」と「属人性」というところにある

①3期生の乃木坂らしさへの評価

まず3期生の乃木坂らしさはひとつの物語なのである
乃木坂に憧れた内気な女の子たちが、名実ともに乃木坂となり、仲間とともに成長し、先輩去りし後のグループを引っ張っていかんとする物語である
つまり3期生の乃木坂らしさとは成長・上昇を目指す物語であり、いつかは終わりが来る
1期生が成長から成熟に舵を切ったように、おそらくあと1〜2年のうちには3期生の物語も終演するのであろう

では3期生の成熟とともに「内気な女の子が仲間を得て強くなる」という物語は消滅するのかというと、多分それはない
生駒ちゃんやなあちゃんのの物語を3期生が引き継いだように、3期生が成熟してもまだ未完成な世代がそのポジションを担うことができる
それが5期になるのかまだ見ぬ6期以降になるのかはわからないが、乃木坂という箱はそれを演出するのが大得意である

もちろんこの物語の継承については、似たような系統のメンバーが入り続けてくるという前提がある
しかし坂道シリーズのリクルーティングはAKB48で取られていた多様性重視路線よりは、世界観になじめる子を中心にとっているように見えており路線変更がなければ何度でも蘇るストーリーなのではないか

つまり3期生の乃木坂らしさについては属人性は低いと言えるだろう
これは良い面と悪い面の両側面あって、まず悪い面としてはグループの人気が個人の人気と繋がりにくい
それゆえに卒業後の個人人気確保についてはかなり頑張らないといけないと思う
一方で乃木坂の箱としてのストーリーは保つことができるので、グループとしての生き残りにはプラスに働く

②4期生の乃木坂らしさへの評価

一方で4期の乃木坂らしさは属人性が高いように思う
わちゃわちゃ感をメインコンテンツとして挙げたが、これは空気感が近ければ誰でもよいのではない
誰がわちゃわちゃしているかというのが大変重要な要素である
良く知らん可愛い子がわちゃわちゃしているより、関係性を知っている「かきさく」や「かきまゆせーら」がわちゃわちゃしているからこそ我々は尊いと思うのだ

そして4期生の乃木坂らしさは、物語ではなくわちゃわちゃという状態である
物語ではないので、明確な終わりはない
実際卒業後に卒業生同士がわちゃわちゃしている姿を見て、尊いと思う人は少なくないのではないか
(言ってしまえば現役メンバーより人気出てしまうかもしれない)

明確な終わりがなく、かつ属人性が高いという特徴から導き出されるのは、先輩メンバー推しの人はそのまま先輩メンバーを推していてなかなか後輩メンバーに流れてこないということが考えられる
例えば乃木坂1期のわちゃわちゃ感が好きという人は、卒業しても乃木坂4期に流れてくるのではなく乃木坂OG同士の絡みを好むのではないか
そのためこの乃木坂らしさを前面に押し出すと先輩からファンが流れてくるということは期待にしにくく、グループの持続性という観点ではマイナスに働く気がする

もちろん個々のメンバーにとっては、その分一度ファンをつけておけば離れにくいという特徴はある
それでもファンが求めているのはあくまでもわちゃわちゃなので、良くも悪くも卒業してもOGコミュニティから離れにくいとは思う

5.最後に〜2期生と乃木坂らしさについて

ここまで1、3、4期の乃木坂らしさについて触れてきた
結論としては1期生が中心となる時期やメンバーの違いによって2つの別の乃木坂らしさをはぐくんできたが、それぞれ3・4期生が受け継いだというものだった
そこで2期生の乃木坂らしさというのはなんだろうという疑問が出てくる

私自身2期生推しということもあり大変残念なのだが、結論としては2期生のストーリーは乃木坂らしさに組み込まれなかったと考えている
この分析については長くなってきたので次回に回そうと思う
また関連して新4期の乃木坂らしさについても次回言及する

2023/3/27追記:
以下の記事で2期生と乃木坂らしさについて、考察しました
・考察:なぜ2期生は不遇と言われるのか 不遇と言われたあなたたちへ~鈴木絢音卒業によせて

考察:時代の転換を考える〜乃木坂46秋元真夏卒業によせて

1.はじめに

その一報を目にした時、どのメンバーの卒業よりショックを受けたかもしれない
最後の一期生というのもあるが、それ以上にその存在が大きすぎた
今まで誰の卒業にも触れてこない本ブログだったが、思わず記事書いてしまうほどだ

心構えもできていなかった
まさか飛鳥ちゃんの卒コン待たずにいなくなってしまうとは…
逆算して今年の夏のツアーまではいてくれるものだと思っていた

それでも遅れて活動開始したこと、辛いことがあったろうに耐えてきた真夏さんを、普段バラエティキャラデザ悩んでる姿ほとんど見せなかったのに、46時間テレビでスタッフさんから頑張り屋と褒められて泣いちゃう真夏さんを、キャプテンとして責任を小さな身体に背負いこむ真夏さんを、メンバー卒業時にこの世の終わりくらい泣く真夏さんを、求められればどこまでも頑張ってしまう真夏さんを思い出せばお疲れ様としか言えない

残り一月の真夏さんとの時間をしかと目に焼き付けたい

長々と真夏さん卒業について個人的な思いを語ってしまったが、ここからは真夏さん卒業に関連した雑考をいくつか展開していきたい

2.「最後の一期生」をめぐるストーリーの美しさ

ショックを受けたとはいえ、冷静に考えると卒業までのストーリーとしてこれ以上美しい展開はない気がする

  • 真夏さんは遅れて参加した1期生として、全1期生を見送ったという箔がつく
  • おそらく最も盛大に行われるであろう飛鳥卒コンを一期生の物語のラストに据えることができる
  • 真夏さんがラジオで言っていた、「最後を分け合う」という考えは乃木坂らしくてしっくりくる

3.32枚目シングルの持つ意味

またこの卒業に伴って、32枚目シングルには1期生が参加しないことが確定した
Twitterトレンドに「世代交代」というワードが入っていたように、その一発目である32枚目シングルはその方向性を示すことが予想される
(なお2022年からストーリーとしては3期中心にシフトしていたように私自身は考えているが、わかりやすい象徴として32枚目シングルは重要かと思う)

具体的にはセンターが飛鳥の思いを継承する象徴としての山下orさくちゃんになるのか、それとも完全新世代としての和ちゃんに舵を切るのか(はたまた完全に別メンバーか)に着目している
ざっくりだが前者はストーリー性重視(ハイコンテクストでカルト性が高まる)、後者は一般受け重視(国民的アイドルに挑戦?)と認識している

今後のグループの方向性を占う32枚目シングルの重要性は高まったと言えるだろう

4.真夏さん去りし後の課題とその解決案について~乃木中へのサブMC設置について

①乃木坂46の課題について

真夏さん去りし後の乃木坂の課題は明白であり、ずばり外番組への課題である

これまで乃木坂メンバーが外番組に出る時(特に初めて外番組に出る時)、先輩メンバーとペアで出すという光景がよく見られた
それを今一手に引き受けているのが真夏さんであり、実際に真夏さんが4期生をフォローしている場面は何度となく見てきた

真夏さんが卒業すると3期生がその役目を引き受けることとなるのだろうが、3期生は演技方面は強いもののバラエティ方面はやや心許ない印象がある
杞憂で終わればいいが自分たちだけで回すならともかく、後輩のフォローとなると不安がある
(唯一久保ちゃんは喋れる印象があるが、彼女は少人数の場面では強そうだが、大人数はやや苦手そうに見えている)
4期生はまだ経験が足りないだろうし、大丈夫かなあと不安視している

②真夏さんの課題について

乃木坂側の課題について述べてきたが、真夏さん側もタレントとしての価値に不安がないわけではない
今までは乃木坂のメンバーとペアとなることで発揮していたお姉さんキャラが卒業で失われる可能性があるのだ

また真夏さんはバラエティ番組中心に活躍すると思っているのだが、ゴリゴリのバラエティに出ているイメージはない
(どちらかというと『王様のブランチ』のような情報番組がターゲットとなるかと思っている)
多少番組を選ぶところはあるためキャラは多い方が良いと考えており、キャプテンキャラを失うのは望ましくないと考える

一方で卒業しない方が良いかと言われると多分それも違う
真夏さんは家庭を築きたい願望も強そうだし、それはタレントとしても価値になりうると思う
残酷な話ではあるが家庭を築く上で年齢はネックになってしまうので、早いうちに卒業という手段を講じるのはタレントとしては正しいように思う
(卒業せずに相手を探すということも原理的には考えられるが、真夏さんは好感度大事なキャラなので暗黙の了解だとしても恋愛禁止破るのはアウトな気がする)

③双方の課題解決案について

双方の課題を解決する案として、乃木坂工事中サブMC(将来的な二代目MC?)に就任する案を提唱したい

まず真夏さんから見れば卒業してサブMCに就任することで、卒業後も乃木坂に近いところで仕事が継続しつつ結婚に向けた動きも進めることができる
乃木坂から見れば3・4期がバラエティ面で更なる成長を遂げるまでの時間稼ぎができる
Win-Winな関係を築けるように思う

またバナナマン卒業後の乃木坂工事中MCで一番丸く収まるのはOGなのではないか
もちろんバナナマンに番組卒業してほしいわけではないが、乃木坂というグループの継続性を考えたときにバナナマンの年齢は気になるポイントだろう
今すぐにいなくなるわけではなくても、60歳70歳を彼らが迎えた時にMCをやっているとは到底思えないのだ

しかしバナナマンと乃木坂が強固に結びつきすぎて、次のMCが就任すると反発を招くことは必至だろう
乃木坂工事中はファン向け番組ということもあり、正直面白さは多少目を瞑れるところだと思う
そこでメンバーの信頼感を得ているであろうバラエティ面強めのOG中心に回す体制が、バナナマンなき後は無難なのではないか
その経過観察期間としてサブMCでOG(真夏さん含む)に入ってもらう案を提唱したいのだが、どうだろうか?

私は公式お兄ちゃんは私はバナナマンだけで良いと思う
次善の策として乃木坂OGプラス芸人という組み合わせかなあ
(個人的にはもう一度乃木坂×さらばはもう一度見たいけど、実現可能性低いし好き嫌いは分かれるだろうなあと思いスルー)

5.乃木坂1期生の在籍期間について~AKB48 1期生と比較して

今回の卒業で1期生が全員卒業するので、乃木坂1期生の在籍期間についてAKBと比較して調べてみた
その結果が以下のグラフである

以下グラフの補足である

  • 縦軸に選抜率、横軸に在籍期間をとっている
  • 中元日芽香のみ卒業日が正式公表されていないため、最終メディア出演日の2017/12/16とした
  • AKB48にはじゃんけん選抜があるので、初期に辞めたメンバーを除き選抜率は100%とはならない

またグラフは以下のページを参考に作成している
AKB48-Wikipedia
AKB48のディスコグラフィー/選抜メンバーの一覧-エケペディア
加入、卒業、在籍人数のデータ(結成日、卒業日、卒業の発表方法…)-乃木坂46データまとめ
乃木坂46『1期生』の選抜データ(選抜回数、福神回数、ポジションの変遷…)-乃木坂46データまとめ

AKBと比較してわかったこと

  • 乃木坂46 1期生の在籍期間とAKB 1期生の在籍期間は峯岸みなみの卒業時期を除けばほとんど変わらない。逆に峯岸さんすげえ。
  • 一方で平均在籍日数は乃木坂の方が極端に長い(AKB:1731日 乃木坂:2519日)。やはり居心地よいグループなのかな。
  • 選抜常連組(ここでは選抜参加率50%を超えるメンバーと定義する)のみの平均在籍日数を考えると、AKB・乃木坂とも比較的値が近くなる(AKB:3023日※極端に長い峯岸を異常値として除くと2586日 乃木坂:3090日)。両グループとも選抜率が高いメンバーが在籍日数が長くなる傾向にある。
  • 非選抜率常連組の平均在籍日数を考えると、乃木坂の方が圧倒的に長くなる(AKB:1111日 乃木坂:2011日)。ゆえに乃木坂は選抜・アンダー問わず平均在籍日数が長いと言える。これの原因はわからないが、舞台仕事中心にアンダーメンバーでも仕事が回ってくるとかだろうか。
  • 標準偏差についても若干の差があるが、AKBのサンプルから異常値として峯岸を除くとおおむね変わらなくなる。(AKB:1377※峯岸を異常値として除くと1070 乃木坂:1030)。ゆえに卒業時期のバラツキ自体はAKB・乃木坂とも大差ないと言える。
  • 一方で選抜常連組に限った標準偏差は優位に乃木坂が小さくなる(AKB:1515※峯岸を異常値として除くと1029 乃木坂:732)。したがって乃木坂は選抜メンバーはみんな仲良く同時期に辞めていったと言える。卒業ラッシュを感じていたのはたぶんこれが原因。

まとめると乃木坂1期全員割と長く在籍していて、辞めるときはみんな一緒という感じです。
なんか最後の最後まで乃木坂っぽいなと思いました。

余談:選抜率と卒業年齢について

AKB1期と乃木坂1期ともにだが選抜率と卒業時年齢はやや関連がありそうな感じだった(相関係数 AKB:0.52 乃木坂:0.68)
乃木坂でも3期以降含めるとまた違った結果になりそうなので、後々検証してみたい

考察:5期生はじめての単独ライブはなぜ「新・乃木坂スター誕生!LIVE」だったのか

1.序論

今回はタイトルの通り、5期生はじめての単独ライブがなぜ「新・乃木坂スター誕生!LIVE」だったのか、そしてそれがグループに与える影響について考察していきたい

今回の考察のきっかけは「新・乃木坂スター誕生!LIVE」神戸夜公演で得た感動にある
一方で6月に行われていた4期生の「乃木坂スター誕生!LIVE」も、詳細は以下の記事に譲るが今年有数の良いライブであった
しかし両者から得られた感情はかなり異なるものであった

そこで私は一つの仮説を立てた
2つのスター誕生ライブは表面上は同じだが、質的にはかなり異なるものなのではないか
そしてそれこそが5期生初のLIVEがスター誕生ライブとなった所以なのではないかと

2.本論~4期生と5期生のスター誕生ライブの比較

①前提:4期生「乃木坂スター誕生!LIVE」について

5期生の「新・乃木坂スター誕生!LIVE」について語る前に、前提として4期生の「乃木坂スター誕生!LIVE」について触れておきたい

このライブを一言で言うならば、各個人のパフォーマンスに焦点を当て盛り上がることに特化したライブであった
感情を敢えて単純な言葉にするならば「感動」など湿っぽい言葉ではなく、「高揚」など明るいイメージである
もちろんこれは4期生や先輩メンバーの経験年数でパフォーマンスや盛り上げ力が磨かれているというのがベースになっている

これ以上は長くなってしまい、かつ本題からもずれるので以下のライブ考察記事に譲り本稿からは割愛する
・考察:乃木坂スター誕生!LIVE (昼・夜公演)2022/6/26

②5期生「新・乃木坂スター誕生!LIVE」の特性

4期生の時の経験から、私はスター誕生ライブはテーマ性が強いライブではなく、パフォーマンスを楽しみ盛り上がるライブとしてとらえていた
実際に以下の横浜公演考察はひたすらパフォーマンスに焦点を当てて考察している
・考察:新・乃木坂スター誕生!LIVE (横浜公演)2022/12/5-12/6

正直なところ神戸昼公演までは楽しくて良いライブだけど、4期のときのパフォーマンスに及ばないなと言う感想だった
(活動をはじめて間もない5期生と数年間の経験値がある4期生を比較する方が無理である)
しかし神戸夜公演でようやく4期のスター誕生ライブとはそもそも質的に異なるものだと気がついた

5期生のスター誕生ライブは一言でいうと「困難に全員で立ち向かうことで、5期生が乃木坂らしくなっていく姿を映すドキュメンタリー」なのだと思う
詳細は神戸公演の記事に譲るが、純粋にパフォーマンスが注目されるうえに、同期・ひいては同じライブを半年前にやっていた先輩たちと比較されるというタフな内容であった(セトリもこのタフさを助長するようなシビアな構成だったと思う)
それを助け合い乗り越えていく姿を目撃させるという、どちらかというとテーマ性に重きを置いたライブであった
・考察:新・乃木坂スター誕生!LIVE (神戸昼夜公演)2022/12/18

3.結論~5期生はじめての単独ライブはなぜ「新・乃木坂スター誕生!LIVE」だったのか

よく考えれば、5期生単独での初めてのライブがスター誕生ライブなのは直観的にはだいぶ不思議な印象がある
しかしこのタフさこそがはじめての単独ライブとして選ばれた理由であろう
彼女たちが困難を全員で乗り越えて「乃木坂らしさ」を身につけたとファンにわかりやすく演出する必要があり、そこにかなり適した場がスター誕生ライブだったということだろう

そしてこれは「新・乃木坂スター誕生!」の番組内でも意識されていたことのように思う
わかりやすいところでいうとHuluの限定映像が4期生のときはゆるゆる未公開映像だったのに対し、5期生の際には真剣に歌に取り組む様子を映すドキュメンタリー映像となっている

それではなぜ5期生だけ「新・乃木坂スター誕生!」といういわば通過儀礼を課されることとなったのかという疑問が生まれる
実は4期生までは通過儀礼を経験しなかったのではなく、別の形で経験していたように思う
それこそがプリンシパルだろう
実際に「新・乃木坂スター誕生!」を経験している5期生がプリンシパルを行うという話はまだ出ていない

4.通過儀礼としての「新・乃木坂スター誕生!」~プリンシパルと比較して

ではこの変化はどのような意味を持っているのだろうか
終章では通過儀礼として「新・乃木坂スター誕生!」をとらえた際に、プリンシパルと比較してどのような特徴を持つのかプラス面・マイナス面の双方から考察していきたい

①メリット:目撃者の多さ

まずメリットとしては圧倒的に目撃者が増えることが挙げられる

例えば4期生が「3人のプリンシパル」を行っていたサンシャイン劇場のキャパシティは808席と記載がある
参考:座席表 | サンシャイン劇場 オフィシャルサイト

一方で「新・乃木坂スター誕生!LIVE」神戸公演が開催された神戸ワールド記念ホールのキャパシティは約8000人とされている
参考:施設概要 | 施設案内 | ワールド記念ホール(主催者様)

単純にイベント会場のキャパシティだけとっても全く規模が違うのだ
さらにスター誕生はライブ配信があったり、ライブを見られなくても番組だけ見るなど目撃人数がさらに多くなることが考えられる
5期生に乃木坂らしさが芽生えていく様子を多くの人に見てもらえるという点で、かなり大きなメリットだと思う

②メリット:番組枠の確保

副次的効果であるが、番組枠を乃木坂として囲っておくことができるのも大きい
10年以上続いている乃木坂工事中とは異なり、日テレの番組枠はまだ安定して乃木坂が持っているものとはいいがたい
そのため一度番組が途切れてしまうとほかのアイドルに枠をとられてしまうことも考えられるのではないか

①と比べると些細なことかもしれないが、一応メリットとして挙げておく

③デメリット:自己プロデュース機会の喪失

プリンシパルでは第二部に出演するために、第一部でいかにアピールし投票に繋げていくかということを考えていく必要がある
それはアイドルにとっての基本である自己プロデュース能力を高める良い機会であるように思う

ただしプリンシパルが実際に自己プロデュース力の向上につながっているかを定量的に評価することは難しい…
実際に私が思っているほど影響はないのかもしれない
それでも想像しうることではあるので一応デメリットに付け加えておく

④デメリット:演技経験の機会喪失

乃木坂はOG含め、ほかのアイドルに比べて舞台仕事が充実しているように思う
それにプリンシパルは大きく影響しているのではないか
基礎となる演技経験が積める上に、舞台関係者の目に留まることも多くなるであろう

この機会喪失は乃木坂の箱というよりは、メンバー(特にアンダー期間が長くなるメンバー)にとって結構な損失のように思う
乃木坂含むアイドルのセカンドキャリアとして最もメジャーなのが、近年だと女優であるように思う
その中でもドラマや映画に比べ、舞台は数が多いこともありパイが広いのである

プリンシパルをきっかけに、乃木坂在籍中に舞台経験を多数積んで、卒業後は舞台を中心とした女優としてはばたく…
このようなキャリアプランに当てはまるメンバーは非常に多いように思う
特にグループで残念ながらそこまでの人気がなくても、上記のおかげで卒業後食うに困らないというパターンも見てきた
その入り口をふさがれてしまうのは大変痛いように思う

そもそも早川事件があったので、今後も乃木坂新世代のメンバーに舞台仕事が潤沢にあるかは不透明であるが…
それでもセカンドキャリアの一つのセーフティーネット的に機能していたものが今回の変更で失われかねないのは無視できないデメリットのように思う

考察:乃木坂46の曲の価値を考える~僕たちはなぜ『アナスターシャ』で泣くのか

1.はじめに~乃木坂スター誕生ライブでの感動と疑問

5期生のスター誕生ライブが開かれるということで改めて思い出したが、4期生のスター誕生ライブは本当に良い時間だった
音楽にスポットを当てたからこその上質なパフォーマンス、先輩メンバーや大物ゲストのド迫力…
開催から数か月たった今でも鮮明に思い出せる、本当に良ライブであった
詳細については以下の記事をご覧ください
・考察:乃木坂スター誕生!LIVE (昼・夜公演)2022/6/26

一方でいわば「借り物」の曲でここまで盛り上げることができるのであれば、乃木坂の曲の価値って何なんだろうと思った
例えばスター誕生ライブで弓木ちゃんが歌っていた『EZ DO DANCE』よりぶちあがる曲が、乃木坂46のライブにはいくつあるのだろうか?
正直『ガールズルール』くらいしか確信をもって答えられない自分がいた…

それでもぶち上げることのみが曲の価値ではない
『きっかけ』『思い出ファースト』など、感動を誘う曲は乃木坂にも少なくない
なかでも二期生推しの私としては『アナスターシャ』が流れると思わず泣いてしまうほどである
今回はこの『アナスターシャ』を題材に、なぜ乃木坂の曲で私たちは感動するのかを考察していきたい

2.本論~僕たちはなぜ『アナスターシャ』で泣くのか

①歌詞について

曲で感動させる要素として、真っ先に多くの人は歌詞を思い浮かべるのではないか
きっと多くの人は一度くらい歌詞に救われたことがあるだろう
例えば私もMr.Childrenの『終わりなき旅』の歌詞に高校時代心が折れそうになる度に救われた

それでは『アナスターシャ』の歌詞はどうか
正直言うと私はアナスターシャの歌詞がわからないのである

理解しようとは人並以上にしたと思う
もしかしたら背景になっているのかと思ったので、ディズニー映画『アナスタシア』を見た
教養が足らないのかと思ったので、ロシア皇女アナスタシアについても勉強した
『アナスターシャ』の歌詞考察も複数読んで、歌詞のどの要素が何を暗示しているのかなど考えた
それでも結局のところ、しっくりとくる理解はついぞ見られなかった

ここにいたって『アナスターシャ』の歌詞は実はほとんど感動に寄与していないのではないかと考えを改めた
すんなり入ってこない歌詞に涙腺が緩むのはそもそも考えにくい
そして『アナスターシャ』はかなり歌詞が難解なので典型的だが、実はほかの乃木坂の曲も同じなのではないか
例えば『きっかけ』の歌詞を本当のところどれだけのファンが消化しきれているだろうか
いいこと言っている風なことはわかるのだが、本当にその真髄を理解しているかと言われると私は自信がない
『思い出ファースト』の歌詞も改めて考えると恋愛に終始している
こう考えると少なくとも乃木坂については、歌詞が感動を呼んでいることは実は稀なのではないか

②曲調について

歌詞以外の要素としては曲調というものが考えられる
『アナスターシャ』『きっかけ』『思い出ファースト』、いずれもあまりにもエモい曲調ではあるので少なからず寄与しているだろう

とはいえこれも本筋ではないのではなかろうか
例えば僕たちは『ガールズルール』で泣いたことは本当にないだろうか?『インフルエンサー』では?
少なくとも私はたまにこれらの超がつくほどのアップテンポ曲で泣きそうになるときがある
したがって曲調も感動に寄与する側面はあるものの、感動の本質ではないと考えるのが自然ではないだろうか

③「景色」と「思い入れ」

こう考えると実は曲の構成要素の中には感動の主要素はないのではないか
それではこれらの曲の何が私たちを感動させるのか

ここで一つ示唆的な話をしたい
私は『アナスターシャ』がこの上なく泣ける曲だと思っている
ただしこれは1期生しかほとんど知らない友人にこれを言ってもほとんど要領を得ない
つまり人によって聴いた感覚がかなり違うのである

この差はずばり見てきた「景色」であり、ハイコンテクストな文脈の中で醸成された「思い入れ」なのではないか
確かに『アナスターシャ』を聴いたときに僕が想像するのは、歌詞にあるまだ見ぬロシアの地や異国の王女様ではない
むしろ擦り切れるほど見た伊藤衆人監督の思い入れに溢れたMVであり、2期生ライブで先輩に同期に後輩に見送られるドレス姿の推しメンであり、苦難の日々を乗り越え確かな芯の強さを手に入れた二期生の感情のこもったパフォーマンスである
これは2期生の歴史を見てきた人にしか決してわからない感情だろう
(完全に余談だが、アナスターシャMVの考察はこちらの記事が素晴らしい。私の記事ですらないが、初めてこの記事を読んだとMVのストーリーの理解がぐっと深まり改めて感動したので是非。)

また前項までの歌詞や曲調すらも、「景色」や「思い入れ」とリンクする
海外の王女というテーマは謎めいたイメージが強いセンター堀未央奈のイメージにぴったりだし、ロシアはこの曲が最後の参加となる佐々木琴子が好きだった国である
また『アナスターシャ』までの2期生曲は、『かき氷の片想い』『ライブ神』『スカウトマン』と少々エキセントリックでマニアックな印象を受ける曲が多かった
そのフラストレーションを一気に解消するかのような、ザ・王道の爽やかな曲調は多くの2期生ファンが待ちわびていたものであった

それ故に、歌詞の意味すらわからない『アナスターシャ』で僕らは泣くのだ

④最高傑作としての『他人のそら似』

『アナスターシャ』は典型例だが、この「景色」や「思い入れ」こそが魅力であるというのはなにも『アナスターシャ』に限ったことではない
むしろ乃木坂の曲の真価はここにあるといっても過言ではない

正直なところスター誕生ライブで歌った数々のカバー曲の方がライブで盛り上がることはあるかもしれない
まして乃木坂のことをなにも知らない人にとっては、それらの楽曲の方が感動するのではないか

それでも東京ドームでダブルアンコールの『きっかけ』を仲間に囲まれながら歌う万理華ちゃんやひめたんが目に焼き付いていれば、
『思い出ファースト』のセンターは桃子卒業後も空けておくと3期生が言ったことを知っていれば、
『サヨナラの意味』が流れる中後ろ手にピースして天井に消えた伝説を目撃していれば、
これらの曲をふと耳にしたとき涙がこぼれそうになるのではないか

そしてこのハイコンテクストな文脈が分かったうえで、個人的に最高傑作とも思っているのが『他人のそら似』である
エモすぎる曲調はもちろん、この曲にはいろいろな体験を得て各自が醸成していく「景色」や「思い入れ」が最初から詰まっていたのである
ダンスで言えば過去シングルの印象的な振り付けを取り入れているため当時の「景色」を思い出させるし、卒業メンバーがセンターの場合はその子と関係が深いメンバーがセンターにいたりするのも当時を目撃してきた僕らの「思い入れ」を引き出す
歌詞にしても『僕のこと、知ってる?』を想起させる歌詞やラストを「君は君だよ」というフレーズで締めるのは、僕らが好きだった乃木坂の世界を表しているようであった
なおこの曲の魅力の詳細については、以下の記事に詳細は譲る
・2021/08/21 真夏の全国ツアー2021 福岡公演Day1

3.傍論~4期生の受難

本論は以上なのだが、上記乃木坂の曲の真価を「景色」と「思い入れ」とした場合4期生には困難が待ち受けているのではないかと考えている

4期生の代表曲を挙げていくと『I see…』『Out of the blue』『ジャンピングジョーカーフラッシュ』ととにかく盛り上がりを優先した曲が多い
個人的にも良く聞く曲だし、ライブでは盛り上がるしそれぞれ当たり曲だとも思う

それでも例えばかっきーやあやめんが卒業する時、これらの曲で私たちは泣けるだろうか?
2期生なら『アナスターシャ』、3期生なら『思い出ファースト』のようにこれらの曲で感動できるだろうか?
そう考えると「はい」と即答できない自分がいる
これらの景気が良い曲は、乃木坂の曲の真価である「思い入れ」の上積みが難しいんじゃないかと思う
そういった意味でそろそろ乃木坂らしいエモい曲を入れていかないといけないのではないだろうか

そもそもでいえば乃木坂の文脈を知らなくてものれちゃう『I see…』『Out of the blue』『ジャンピングジョーカーフラッシュ』あたりは本来は表題曲になるべきなのではないだろうか
これらの景気が良い曲でライトファンを集めて、乃木坂らしい期別楽曲で沼に落とすというのが本来の形のような気がするのだが…

4.終わりに~31stシングル『ここにはないもの』初披露に寄せて

以上のようにメンバーとファンが見てきた「景色」重ねてきた「思い入れ」こそが乃木坂の曲の真価なのだと思う
一方で乃木坂の楽曲には盛り上がりには欠ける側面があり、景気が良い曲をよそから借りてきてバカ騒ぎするライブの楽しさを知れたという点でスター誕生ライブは本当に楽しくまた示唆的なライブであった

最後に先日乃木坂配信中で初披露された『ここにはないもの』に触れてこの記事を締めたい
一回しか聞けてないので詳細までは考察できていないのだが、この曲は『他人のそら似』に匹敵するレベルの傑作かもしれない

うろ覚えだしおそらく抜けもあるのだが、この曲には過去の楽曲を思わせる歌詞を散りばめていたはずだ
しかも乃木坂との別れを感じさせる形で…

  • カーテンはぐるぐる巻かれるものではなく、閉じるもの(『ぐるぐるカーテン』オマージュ?)
  • 裸足で未来へ向けて歩き出す(『裸足でSummer』オマージュ?)
  • 手を離すことを促す(『最後のTight Hug』で繋いだ手を離したことを後悔したのに…)
  • 青空は見えても広さここからはわからない(『何度目の青空か?』オマージュ?)
  • そばにあるしあわせより遠くのしあわせを掴もうとする(『しあわせの保護色』と対極)

不十分な気もする(特に『サヨナラの意味』オマージュの箇所とかもあるんじゃないかなという気はしている)が、これを歌われると飛鳥ちゃんが卒業するんだと一層実感がこもってしまう…

また何よりも『ここにはないもの』というタイトルがすごい
乃木坂で全てを見てきた大エース・齋藤飛鳥にしか似合わないタイトルだとすら思う

MVが公開されたら再度聴きこんで考察を深めるたいと思う
そしてこの曲に素敵な「景色」や数々の「思い入れ」を積めることを祈って、筆を置きたい

考察:乃木坂46 ドキュメンタリー映画第2弾 『いつのまにか、ここにいる』

0.はじめに

普段は乃木坂のライブ演出考察を専門としている本サイトであるが、まれにアイドルドキュメンタリーの考察も行っている
今回は2019年7月に公開された、乃木坂のドキュメンタリー2作品目『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』見返したので考察していきたい

そして本作は2022年10月現在アマプラの見放題に入っているので、まだの人はこちらから是非見ていただきたい
後述するがメンバー、特に飛鳥ちゃんの魅力が分かりやすく伝わるので飛鳥ちゃん推しの人には特におすすめする
※以下、多少のネタバレを含みます

1.全体感

全体感としてはほかのアイドルドキュメンタリーと比べて、かなりテーマが複雑で見えにくいという印象がある
アイドルドキュメンタリーの定番といえば、メンバーの成長を描くものだろう
例えば以下の記事で考察した、先日まで公開されていた日向坂のドキュメンタリー『希望と絶望』はその色が濃い
・考察:日向坂46 ドキュメンタリー映画第2弾 『希望と絶望~その涙を誰も知らない』

ただこの映画冒頭でも触れられていたが、すでにトップアイドルになっている乃木坂46(時期的には2018年秋〜2019年春あたり)を題材としているのでそんなに単純なテーマにはできない
テーマが複雑に絡み合う中、私が強く感じたのは「トップアイドルの苦悩」「齋藤飛鳥の魅力」の2つであった
この点について深く考察していきたい

2.トップアイドルの苦悩①〜乃木坂46の自分と等身大の自分

トップアイドルの苦悩はいくつかの小項目に分類されるように思う
今回はその中でも強く感じた「乃木坂46の自分と等身大の自分」と「卒業」という項目を取り上げたい

一つ目として「乃木坂46の自分と等身大の自分」といつ項目を考察していく
さらに複雑なのはメンバーが多く世代がバラバラならグループゆえ、この項目への反応も一律ではない

まず分かりやすいのは3期・4期の描かれ方である
彼女たち若い世代は「乃木坂の自分」と「等身大の自分」が一致した存在として描かれている
「素のじぶんでアイドルをしていると語る」桃子ちゃんの発言や、一つのミスで自らを全否定してしまうせいらちゃんが具体例である
ドキュメンタリーにもあったが、存在ごとぶつかっていけばズタズタに傷ついてしまうという意味で苦悩は大きい

一方で1期生は少し異なる描かれ方をしていた
どちらかというと「乃木坂の自分」と「等身大の自分」を切り離して考えているようだった
印象的だったのは乃木坂として見られている自分を俯瞰的に語るなあちゃんや、過去の自分をさも他人事のように話す飛鳥ちゃんであった
このメンタリティであれば、仮に「乃木坂の自分」を否定されていても「等身大の自分」とは異なるものとしてメタ認知しているのでズタズタに傷つくことはないだろう

ただ彼女たちは苦悩と無縁かと言われるとそうではなく、「乃木坂の自分」と「等身大の自分」の捻じれに起因する歪みの影響を受けていた
例えばなあちゃんは常に乃木坂の自分として見られていると語り、それ以外の自分は何もないとまで語っていた
飛鳥ちゃんは乃木坂の自分がおさまったキャラクターが好きではないと語っていた
全否定した過去の自分と対面を果たす成人式参加は、等身大の自分との擦り合わせをしようとしていたのではないか
おそらくこの歪みとその向き合い方こそがこの映画の主題であろう
エンディングテーマである『僕のこと、知ってる?』の歌詞ともこのテーマは共通しているように思う

ではこの歪みの解決策はあるのだろうか?
当時は明確には気づかなかったか、今の僕は答えに近いものを見たことがある
それは『僕のこと、知ってる?』と共通テーマを歌った『他人のそら似』の歌詞の中で描かれているように思う
本当の自分や相手が誰かわからなくても「君は君だよ」と認めあえたら…
問題が全解決したわけではなくても、ずっと気持ちが軽くなるのではないか

3.トップアイドルの苦悩②〜卒業

この時期はメンバーの卒業が相次いだ時期でもあり、卒業も苦悩の一つとして描かれていたように思う
これも卒業する側と見送る側で少し見える景色が違う

卒業する側の難しさはなあちゃんの卒業を通じて詳しく書かれていたように思う
先述の通りなあちゃんは乃木坂としての自分がいつからか全てであったように語っていた
そのねじれを解消するのが卒業という選択だったのかもしれない
実際にドキュメンタリーでは自分の脚で立ちたいと願うことが卒業なのではと描かれている

一方で見送る側の心情も単なる寂しさを超えたものがあると感じている
ドキュメンタリーの一章で描かれた「仲の良さ」、それは乃木坂で活動するメンバーのモチベーションの大きな部分を占めていた
例えばれいかちゃんが「(在籍している理由は)思い出がほとんど」、いくちゃんが「メンバーの待っているよという言葉が全て」と語るように、仲が良いメンバーと苦楽をともにできるというのがこの時期の一期生のモチベーションの大部分を占めていた

そしてここは「等身大の自分」問題とリンクしているように私には見える
「等身大の自分」がわからなくても「君は君だよ」と認め合える存在が、もし遠くへ行ってしまったら…
それ故にメンバーの卒業は寂しさというレベルではなく、苦悩に近いレベルのものだったのかもしれない

4.齋藤飛鳥について

この映画の主人公は誰か?
なあちゃんにもスポットは当たっていたが、誰か1人を選ぶならこのドキュメンタリーで存分に魅力を描かれていた飛鳥ちゃんだろう

それではここで言う飛鳥ちゃんの魅力とは何か?
一言でいうとそつなくこなしてるふうに見えるが、裏では不器用で優しいところだろう

  • 成人式のシーンに代表されるように、決別したはずの過去の自分を割り切ることができず、もう一度向き合おうとする不器用なところ
  • 懐いてくる桃子をはじめ、メンバーに対して素直になれないところ

ちなみにこのときの桃子への素直な思いは下記ライブで詳しく述べられている
・2021/08/22 真夏の全国ツアー2021 福岡公演Day2~大園桃子卒業セレモニー

クールに乃木坂を引っ張る飛鳥ちゃんも好きだけど、深いところで優しくてちょっと不器用な飛鳥ちゃんだからファンは支えたいと思うのだ

そして飛鳥ちゃんの魅力を存分に詰め込んだ描き方はらかなり意図されたものなのではないか
背景的にも長年エースとして引っ張ってきたなぁちゃんが卒業し、飛鳥ちゃんを中心として固め直す必要がある時期であった
(実際この時期に発売された『Sing Out!』でも飛鳥ちゃんはセンターを務めている)
そしてドキュメンタリー冒頭とラストに差し込まれた「飛鳥」をイメージさせる飛び回る鳥の映像が何よりの証拠だろう

このドキュメンタリーを見て、改めて飛鳥ちゃんが乃木坂のエースでいてくれてよかったと思った

考察:日向坂46 ドキュメンタリー映画第2弾 『希望と絶望~その涙を誰も知らない』

0.はじめに

普段は乃木坂のライブ演出考察を専門としている本サイトであるが、まれにアイドルドキュメンタリーの考察も行っている
今回は現在公開されている、日向坂のドキュメンタリー『希望と絶望』を見たので考察していきたい

なお筆者は日向坂の冠番組は見ているものの乃木坂と比べて熱量を持って追っかけているわけではない
そのためやや乃木坂びいきになってしまう部分や、考察が至らない部分があるかもしれないです
大変申し訳ないですがご容赦頂ければ幸いです
ただ他グループファンから見た考察も意味があるものだと思うので、本ブログに記していきたい
また考察内容には乃木坂にも通じる部分もあったので、乃木坂ファンの方も是非見て行っていただきたい

1.ドキュメンタリーの既視感~日向坂のストーリーを考察する

今回のドキュメンタリーを見て一番最初に感じた印象は「既視感があるな」といったものだった
どこで見たかといえば、乃木坂のドキュメンタリーやライブの間で挟まれる映像で見たものだった

『希望と絶望』で描かれたテーマは大雑把にいえば、「コロナ時代のアイドルの苦悩とファンとの絆」というところに集約されると思う
ただこのテーマは他のアイドルを題材にしても表現できるものだし、実際前述の通り乃木坂でもかなり表現されてきている
描き方としては『希望と絶望』はかなり感情移入できるようになっていたが、必ずしも日向坂が伝えるべきテーマかというと疑問が残る
それでもあえてこのテーマを取り上げたのは、言ってしまえばこのテーマしか取り上げようがないというのが実情ではないか
それは日向坂46のストーリーに起因すると思う

日向坂の今までのストーリーを大雑把にまとめると、「ひらがなけやきという不遇の時代を過ごした少女たちが、腐らず努力して一流アイドルになる」というところになると思う
判官贔屓な傾向があるといわれる日本人にはとても好かれるストーリーだと思う
しかしこの手の自らを「弱者」と定義するストーリーには限界がある
グループが人気になるにつれて自分たちのことを「不遇」「弱者」と自称できなくなるため、いつまでもこのストーリーを使うことはできない
先日『約束の卵』でもうたわれた東京ドーム公演を成功させた日向坂は、上記ストーリーの大団円を迎えてしまったように思う
もはや「弱者」でなくなってしまった日向坂はそれに代わるストーリーを現段階では生み出せていないため、今回の映画では他のアイドルでも取り組めるテーマを取り上げることとなったのではないか

2.日向坂人気を考察する~他の坂道シリーズとのストーリー比較から

では他の坂道シリーズではどのようなストーリーがあったのかも考えていきたい
まずは乃木坂46の場合だが、最初は「AKB48の公式ライバル」を自称していたように自分たちを「弱者」としたストーリーを展開していた
しかし乃木坂はいつからかこのストーリーをぱたりとやめて、「引っ込み思案な女の子が仲間を得て強くなる」というストーリーにシフトしたように思う
(体感だが2013年ごろからシフトをはじめ、西野七瀬センター時代に確立されたように思う)
このストーリーは自分たちが「弱者」でなくなっても使える普遍的なストーリーのため、今でも脈々と受け継がれているように思う
そしてこのストーリーに魅せられた私は、推しメンが卒業しようが乃木坂から離れられない
おそらくほかにもそういった方がいらっしゃるのではないか
この醸成させてきたストーリーこそが、乃木坂の唯一無二の強みだと思う

一方欅坂46は最初から「弱者」のストーリーをとらなかったように思う
それは『サイレントマジョリティー』によって「社会・大人への反抗」「フォーメーションダンス」という明確なストーリーやストロングポイントを手に入れたので、「弱者」のストーリーを取り入れる必要がなかったからであるように見える
このストーリーは大成功し、解散後の今多くのファンがなおこのストーリーに魅せられつづけるという意味で欅坂は伝説になったのだろう
(ただし、このストーリーに縛られて各メンバーが苦しんだようにも見えるので一長一短ではあるのかもしれない…)
そして櫻坂はこのストーリーから良くも悪くも解放されて、新しいスタイルを模索しているところにみえる

さて今回の本題の日向坂だが、乃木坂/欅坂とはかなり様子が異なる
日向坂のストーリーは前述の通りいわゆる「弱者のストーリー」で、ストロングポイントも「明るく前向き」というかなりアイドルにとって一般的なものにみえる
(きっと日向坂ファンにとっては紡いできた歴史があるので単なる「弱者のストーリー」にまとめられるのは抵抗があるとは思う。後述するが私も乃木坂2期生が好きなので、気持ちはわかる。しかし乃木坂/欅坂の方が外から見た時にグループのカラーやストーリーが分かりやすいというのは言えるんじゃないかな。)
つまりおそらくは日向坂人気はグループのストーリーというシステム面でなく、メンバーの魅力という点に依存度合いが高いのだろう
特に大ヒットした曲があるわけでもないのにメンバー個々人の力だけでここまで人気が出たというのは、純粋にすごいと思う
ただ現メンバーが卒業した時のことを考えると、しっかりしたストーリーがないとあっけなくファン離れを起こすんじゃないかな…
ここ1・2年が日向坂にとっては特に勝負の年となるのだろう

3.日向坂46と欅坂46について

また日向坂46も忘れがちだが欅坂46の遺伝子を受け継いだグループなのである
その欅坂のDNAが案外色濃く残っている印象を映画から受けた

富士急ライブや『君しか勝たん』チアなど、パフォーマンスの全力感を求めてメンバー・スタッフ一丸となっているところが映画でも節々に現れていた
このパフォーマンスへのこだわりは、魅せ方こそかなり異なるが欅坂の映画で感じたものにとても似ていた

ただ下記の記事でかなり詳しく展開しているが、パフォーマンス重視というのはかなり危うさを孕む特性である
(乃木坂はどうやらこの記事で考察した方向性にはいかなそうだが…)
考察:『Actually…』なぜ乃木坂史上最大の問題作なのか

現在のところ日向坂はパフォーマンス重視したとて仲間を切り捨てる方向には走らないように見えるが、その分グループ活動へのコミットが求められかなりハードに見える
(実際、加藤史帆がフラフラになっている様子が映画でも描かれていた)

ここは同じ坂道シリーズでも、乃木坂とはかなり文化が異なるように見える
乃木坂はアンダーメンバー中心にグループとは離れた活動(舞台など)に多くリソースを割くメンバーがいるが、そういった生存戦略は日向坂だと難しいんじゃないかな
パフォーマンスレベルと外仕事はトレードオフの関係になることも多そうなので、その辺は一長一短だね…
(どちらも両立した生田絵梨花という超人はいるが、あの人の体力は化け物なのであまり参考にはならない気がする…)

4.乃木坂46と弱者のストーリーについて

最後にこのサイトは乃木坂46考察サイトなので、先ほどからキーワードとなっている「弱者のストーリー」と乃木坂46の関係に触れたい
乃木坂46全体としては前述の通り「弱者のストーリー」からうまいこと転換していったが、たまに「弱者のストーリー」が顔をのぞかせる節がある

一つめに思い浮かんだのが乃木坂2期生である
よく言われている「不遇の2期」という言葉に表されるように、2期生全体のストーリーとしてはどうしても「弱者のストーリー」として表現されがちだ
ただ2期生ファンとしては、彼女たちを一言で「弱者のストーリー」とまとめるのはかなり抵抗がある
伊藤純奈が舞台女王となり、伊藤かりんが将棋を極め、新内眞衣が有楽町の女となり、そして山崎怜奈はクイズに歴史にラジオにと坂道外仕事マスターになった
ここまで個性的な才能開花は「弱者のストーリー」範疇にとどまらないようのではないかとすら思う
(とはいえ思い出補正が強いので、外から見たら「弱者のストーリー」にみえるのかな…)

二つ目はアンダーライブである
こちらはわかりやすく選抜制構造に立脚した「弱者のストーリー」をとっているが、かなり中身は移り変わっている
従来は選抜に入りたいという各メンバーの思いから、かなり熱気あふれるライブをしていた
しかし選抜・アンダー間の流動性がなくなってアンダー→選抜の門戸が狭まり、選抜入りを目指すストーリーはやや無理が生じた
そこで29thシングルアンダーライブのアンダーライブを東京ドームでやりたいという発言に顕著だったが、アンダーライブ自体を大きくするという方向に舵を切った
乃木坂46 29thSG アンダーライブDay3考察 2022/3/27
発言自体はとても心震えたのだが、冷静になるともしアンダーライブin東京ドーム構想が叶ってしまったらそのあとはどうなるのだろう…?
アンダーライブが「弱者のストーリー」の限界を突破できることを切に願う

三つ目だが乃木坂全体でも最近ファン離れへの危機感なのか、「弱者のストーリー」への回帰の兆しが見られるのではないか
以下の真夏の全国ツアー広島公演の記事に詳しく記載している
考察:乃木坂46 真夏の全国ツアー(全ツ)広島公演Day1 2022/7/23
個人的には乃木坂はもうがっつり特徴があるグループのなので今更弱者のストーリーへの回帰の必要性を感じないのだが…
今後どのような展開がありうるのか、引き続き注視していきたい

考察:『ないものねだり』なぜ乃木坂46橋本奈々未はファンの心に残り続けるのか

0.はじめに

秋元康の詩集『こんなに美しい月の夜を君は知らない』の出版を記念して、歌詞解説募集キャンペーンなるものが行われていた
私も応募してみたが、このサイトでも避け続けているように歌詞の考察は苦手である…

しかし下記の『Actually…』の記事のように曲をメタ的な目線でみて、考察を行うことは割とできると思う
・考察:『Actually…』なぜ乃木坂史上最大の問題作なのか
今回はキャンペーンの対象曲でもあった『ないものねだり』を題材に、なぜこの曲がファンにとって特別な曲であり続けるのか、ひいてはなぜ私たちの心に橋本奈々未さんがなぜ心に残り続けるのかを考察していきたい

1.序論~卒業ソロ曲としての『ないものねだり』の異質性

乃木坂には卒業にあたってソロ曲をもらうメンバーが多くいるが、やはり別れを真正面から取り上げた曲が多い
その中で異質なのが橋本奈々未さんが歌う『ないものねだり』である
表題曲の『サヨナラの意味』が真正面からの卒業ソングだったこともあるのか、テーマ設定が一見卒業と何ら関係がないように見える
しかしわたしはある種この『ないものねだり』こそが、最もアイドルからの卒業を感じされた曲ではないかと思う

2.本論~『ないものがたり』の世界観について

『ないものがたり』の世界観を一言でいうと、「足るを知る」という価値観に尽きるように思う
そしてこの価値観が主人公の中でどんどん大きくなっている様子が見て取れる
なお歌詞についてはこちらのサイトでご確認いただきたい

まず冒頭の描写からすでにアイドルソングとしてはかなり違和感がある
冷たい外界と暖かいベッドという対比があるなら、通常のアイドル曲なら外に打って出るだろう

そしてサビの部分でこの行動は気まぐれではなく、主人公の信念に基づくものだというのが明かされる
この信念は、アイドルのキラキラした上昇志向や成長願望とはかなり異なるものだろう

これらのアイドルらしくない世界観は現実世界ともリンクする
弟の学費を賄うため、弁当がもらえるからなどといった理由でアイドル界に紛れ込んだ橋本奈々未さんが歌うととてもリアルなのである
そして歌詞の最後で眠りにつく夜(「私」の世界)だけでなく、昼(「公」の世界)でもアイドルらしくない世界観を持ち始めた様子が描かれている
これは橋本奈々未さんによるアイドルへの決別宣言ととらえられるのではないか
ここまで大胆で強烈なアイドル卒業ソングは後にも先にもないだろう

3.結論~なぜ橋本奈々未さんは伝説になったか

このアイドル・ななみんを強烈に奪われた印象が、ファンの中にある種のトラウマとなって『ないものがたり』が忘れえぬ曲となったのだろう
そして『ないものねだり』に限らずこの強烈に奪われる感覚、これこそが橋本奈々未さんを伝説としているのだと思う

私は橋本さんの卒コンラストでも同じ感覚を味わっている
握手会等で会うこともできたななみんが、緑色のペンライトの海の上方にゆっくりと消えていったとき「この人は神になって、もう二度と会うことはできないんだな」とすら感じた
(この演出考察については、かなり昔のライブにはなるがいずれ見返して記事にしたい)

本人のもう二度と芸能界に戻ってこなさそうな発言に、曲や演出も手伝って強烈にななみんを奪われた感覚がある
どのメンバー卒業時よりも強いトラウマ・喪失感を与えたことこそが、橋本奈々未さんを伝説とした一因なのではないか

考察:『Actually…』なぜ乃木坂史上最大の問題作なのか

0.はじめに

ここ数回のライブ考察記事で触れてきたが、『Actually…』を私は史上最大の問題作としてとらえている
しかしこの問題意識をうまく伝えられていない気がするので、テーマ考察として取り上げたい
なお『Actually…』考察は下記の記事でも触れているので、良ければこちらも読んでいただきたい
・2022/2/23 10th Anniversary 乃木坂46時間TV スペシャルライブ
・2022/3/15 乃木坂46の「の」 presents 「の」フェス

1.序論~危うさの本質は中西アルノか?

初めて『Actually…』のパフォーマンスを見た時、危うさの本質を私は若干見誤っていたように思う
どうしても中西アルノちゃんに目が行ってしまい、乃木坂変革の黒船として乃木坂をぶっ壊しにきたのかと感じた

運営側の意図はわからないが、しかし本当に彼女だけで乃木坂の雰囲気をぶっ壊すことなどできるのだろうか?
乃木坂に限らずアイドルの歴史を振り返った時、グループが売れた後に空気を一変させるメンバーが入ってきたことはほぼないと思う
アルノちゃんの引き込まれるような才能は確かに魅力的であり29枚目シングルではとても目立っているが、30thシングル以降も空気をガラッと変えられるかというとやや疑問符が付く

その後アルノちゃんは休業し「シブヤノオト」や「の」フェスで飛鳥・山下のダブルセンター(個人的にはフォーメーションが目まぐるしく変わるダンスゆえに飛鳥・山下のダブルセンターというより不在に見えたと話していたが、公式でダブルセンターと言っていたので訂正する)で『Actually…』のパフォーマンスは披露されているが、それでも私にはこの楽曲が引き続き危うさをはらんでいるように見えた
もしアルノちゃんが危うさの本質なら、休業後のパフォーマンスがそうは見えないだろう
そこで私は考えた

『Actually…』の危うさの本質は中西アルノではなく、この曲のパフォーマンスそれ自体なのではないか

2.本論~他アイドルとの比較で考える

『Actually…』最大の売りは本格的なフォーメーションダンスである
アルノちゃんの休業に伴いセンターをクローズアップするかという点は大きく変わったが、かなりこだわりがないとできないレベルのフォーメーションダンスであることには変わりない

しかしこのハイレベルなフォーメーションダンスこそが、私には危うさの本質であるように見える
なぜなら秋元系アイドルがパフォーマンスを重視すると、歪みが生じてしまうことが多いからである
以下では他アイドルの例も参考にしながら、パフォーマンス重視がなぜ歪みを生んでしまうか・乃木坂に当てはめるとどうなるかを考察していく

①SKE48の場合

秋元系で最初にパフォーマンスに力をいれていたアイドルと言えば、SKE48が思い浮かぶ
かつてSKE48のファンであった私は、2013年の選抜常連組を含む8人同時卒業発表という異常事態には正直ショックを隠せなかった
この事象にもパフォーマンスを重視する文化が絡んでいるとみている

秋元系アイドルの多くはシングル表題曲を歌うメンバーを決める選抜という制度がある
パフォーマンスの重視の文化では、パフォーマンスレベルが高いものが選抜に選ばれるべきと思うメンバーが出てきても不思議ではないだろう
(実際にこちらの記事にあるように、振付師牧野アンナが特定メンバーについて上記のような分析をしている)
しかし選抜というのはパフォーマンスだけで決められるわけではない
特に若手の有望株については運営側は積極起用したいはずである
しかし新入りメンバーのパフォーマンスレベルは既存メンバーと比べて高くないことが多く、彼女たちが選抜されていくことは一部のパフォーマンス重視メンバーのモチベーションを低下させ空気が悪化することを容易に想像させる
そうして選抜を外れたメンバーは外仕事に目を向けるが、こちらの記事にあるように外仕事に関連する運営側のまずい対応などもあり大量卒業につながったというのが真相ではないか

またパフォーマンス重視ということは、心身の不調が卒業につながりやすいという特徴もある
実際に平松可奈子は卒業の直接的な理由にけがを挙げている
パフォーマンスにここまでのこだわりを持つ集団でなければ回復を待つこともできただろうが、空気的にも本人的にもそれは許されることではなかったのだろう

確かにSKE48のパフォーマンスレベルは高かったし、ファンもそれを望んでいた
しかしそれが結果としてメンバーとの別れの一因となったのなら、それは皮肉なことである

②欅坂46の場合

次にパフォーマンスを重視する集団として印象深いのは欅坂46である
こちらについては同じ坂道シリーズということもあり、活動休止に至るまでの顛末は記憶に残っている人も多いのではないか
ドキュメンタリー映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』でも活動休止までの真相が多く語られているが、私はこちらの主因についてもパフォーマンス重視の文化があったと考えている

映画内でもかなり多く語られていたが、欅坂のアイデンティティはフォーメーションダンスで魅せる圧倒的なパフォーマンスであった
このフォーメーションダンスというのが、全員の息を合わせる必要がありなかなかの曲者である
欅坂は最後まで1期生による全員選抜制度が根付いていたが、パフォーマンスにおける不確定要素を減らすためだったように思う
ただし全員選抜という聞こえの良い言葉とは裏腹に、ひらがなけやきの扱いが難しくなるなど風通しを悪くする側面もあったように思う

平手友梨奈の脱退にもパフォーマンス重視の文化が影響していたように思う
脱退前には『10月のプール』のパフォーマンスに納得がいかずMV撮影現場に現れない姿などが語られていたが、こちらも2期生をパフォーマンスに加えようとしたことからレベルを下げざるを得なかったと考えられる
そしてモチベーションを失った彼女が行きつく先が脱退だったのではないか
さらにフォーメーションダンスの核である彼女を失ったグループは活動休止&改名というところまで追い込まれてしまったのだろう
(現在の櫻坂46もフォーメーションダンスにはこだわりがあるようだけど大丈夫なのだろうか…)

またSKE48同様にパフォーマンスへのこだわりはメンバーの卒業にもつながっている
鈴本美愉の卒業はこちらの記事にもあるようにパフォーマンスに心身が追い付かなくなったという理由で卒業している

一例だけなら単なる偶然で済まされるかもしれないが、SKE48・欅坂46ともに少なからず問題があったということは秋元系アイドルにとってパフォーマンス重視するというのは諸刃の剣になりうることを証明しているように思う
なおこれらのグループのファンは少なからずパフォーマンスに魅せられており、パフォーマンス重視が必ずしも悪いことばかりではなかったことは補足しておく

③ハロプロ・K-POPの場合

同じパフォーマンス重視のアイドルでもハロプロやK-POPでは目立ったほころびはないように見える
なぜ秋元系アイドルだけがパフォーマンス重視すると歪みが生じるのかという疑問はありうる
しかしこれらのアイドルグループはパフォーマンス重視でもグループが耐えうる条件がいくつかあるように思う

まずは人数である
これらのアイドルは多くても10人程度であることから、選抜だけでも20人前後いる秋元系アイドルよりはメンバー間のパフォーマンス実力差は小さいと考えられる
その分パフォーマンス実力差からメンバーの不和は生まれにくいだろう
そして少人数であれば楽曲による選抜制度も設ける必要がなくなり、選抜制度と相性の悪いパフォーマンス重視を採用しても問題ないのではないか

またこれらのグループは結成時点から一定以上のパフォーマンスを求めているため、そもそもパフォーマンスできないメンバーがグループにいることは想定する必要がない
K-POPではオーディション時点からパフォーマンスレベルを重視するし、ハロプロは研修生制度があり一定以上実力をつけないとグループに配属されない
グループに入ってからパフォーマンスを一から身に着ける秋元系とは思想が異なるのだ

これらの要因から秋元系アイドルのみがパフォーマンス重視と相性が悪いと考えており、非秋元系を持ち出して反論するのは適切でないと考える

④乃木坂46に当てはめた場合

ここでは『Actuallly…』をきっかけにして乃木坂にパフォーマンス重視の文化が根付いたと仮定して、どのようなことが起きるか想像してみたい

乃木坂の基本ストーリーは「内気な女の子が仲間を得て強くなる」だと思う
しかしパフォーマンス重視というのはSKE48や欅坂46のように、パフォーマンスができない仲間を切り捨てるという側面があるのは否めない
この仲間の切り捨ては乃木坂の世界観ではありえなく(むしろ現在は誰一人見捨てない世界線にみえる)、言ってしまえばストーリーの180度転換となってしまう
これが『Actually…』のパフォーマンスを見て、「乃木坂が壊れるかもしれない」と私が思った理由である

パフォーマンスレベルが上がるというメリットとデメリットを比較したとき、乃木坂ファンはどちらをとるだろうか
私はストーリーに共感したものなので、この方向転換は少なからず抵抗がある
また仮にパフォーマンスのレベルを下げないためにメンバーが卒業すると決断したとき、乃木坂にそんなものは求めていないと受け入れがたく感じるファンも多いのではないか

3.結論~危うさの本質と展望

以上のように『Actually…』のパフォーマンス重視路線は結果としてメンバー切り捨てにつながりストーリー転換をもたらす可能性があることが、この楽曲を乃木坂史上最大の問題作に仕立てる本質的な危うさだと考えている
しかし今まで仲間を大切にする文化を築いてきた乃木坂ちゃんたちであれば、仲間の輪を保ちつつもこの曲を演じ切ることができるのではないかという期待もある
私には今こそ乃木坂らしさの真価が問われる時が来ているように見える

またプラスにとらえればファン自身も『Actually…』をきっかけに乃木坂らしさを考えなおすきっかけになったのではないか
私も優しい世界観、パフォーマンス時の表情、築き上げた数々の思い出など魅力を再確認することができた
雨降って地固まるという展開を願い、筆をおこうと思う

4.アルノverMVを見て(2022/3/23追記)

アルノverのMVを見て、補足したいことがあるので追記する
危うさは尽きないが、現メンバー(特に1・2期生)を信頼したいと思える内容だったためである

本文ではパフォーマンス重視の危うさについて語ったが、やはり制作側はアルノちゃんを象徴として変革を起こしたいという思いを持っているようでその危うさも間違えなくある
MVを通して、主要3キャストは以下の描かれ方をしていた

  • アルノ…突っ張っている新参者。
  • 山下…今の乃木坂の中心。変革を拒む。
  • 飛鳥…山下とアルノの間を取り持とうとする。

ただ危うさだけでなく、希望も見えるMVだったように思う
ここに各期の補助線を引くと、以下の役割が期待されているように見える

  • アルノ(5期生)…変革の象徴。受け入れてもらえない。
  • 山下(3・4期生)…今の乃木坂の中心。変革を拒む。
  • 飛鳥(1・2期生)…大ベテラン。現メンバーとアルノをはじめとする新参者の間を取り持とうとする。

どのような結果になるかはわからないが、3・4期加入時とは違い5期生には変革の起爆剤になる役割を求めているようだ
これは堀ちゃんが『バレッタ』のMVの最後で白石さんを銃で撃つのと少し被る
バレッタのときはグループが大きく変わることはなかったが、その代わり1期vs2期といった構図になり2期生不遇問題につながってしまった

しかし『バレッタ』のときとは大きな違いがあると思う
MVでも描かれているが新参者と現メンバーの間を取り持つ余裕がある大ベテラン(1・2期生)の存在である
パフォーマンス面や制作側の意図など、『Actually…』にまつわる危うさを語ったら尽きることはないのかもしれない
それでも乃木坂をつくり守ってきた彼女たちを私は信じたいと思う

5.着地点~1年後から振り返る(2023年追記)

この記事を振り返って、手前味噌ながら振り切った面白い考察をしていたなと思う
一方で結果から振り返るとこの曲によってグループが壊れることも、大きく変わることもなかったように思う

その理由は一言でいうと、ライブを通じて『Actually…』が弱毒化されていったからだと思う
本論の振り返りにはなるがハイレベルなフォーメーションダンス、ひいてはそこから生じうるパフォーマンス重視の文化に、私はこの曲の危うさを感じ取っていた
初披露やシングル発売時に見られた独特の緊張感とガチガチのフォーメーションダンスからは、その方向性は見出しうるものであったと思う

しかしその後のこの曲をめぐる展開は私の想像とは全く異なる方向へ進んだ
まず10thバスラや夏のツアーを通じて、この曲のパフォーマンスがそれほど重視されなくなってきたように思う
その代わりに光や映像の演出をゴリゴリに足すことで、格好良さを引き出す方向にシフトしていた

これの功罪は非常に判断が難しい
言ってしまえばパフォーマンスレベルを誤魔化すという形なのかもしれない
(正直筆者にはダンスのセンスはないのでダンスが上手いのか下手なのかいまいち判断がつかないが、あそこまで演出足すなら下手でもバレなくねとは思う…)
一方でそれほど練習リソースを割かずに、新たな側面を見せることはできるので大変合理的だとは思うしそもそも多くの乃木坂ファンはパフォーマンスレベルをそこまで求めてないようにも思う

ただ一つ言えるのはその後も本記事で懸念していたような、パフォーマンス重視の文化は根付かなかったように見える
先述の通り『Actually…』自体がパフォーマンスレベルを求められる曲でなくなったのと、30thの『好きロック』が全く異なる系統の曲で高パフォーマンス路線が続かなかったことが要因だろう
そのため良くも悪くもこの曲による化学変化は感じなかったというのが私なりの着地点となる

完全に外れた考察なので恥ずかしいが、自戒の意味も込めて記事自体は残しておくこととする

10th Anniversary Documentary Movie『10年の歩み』

0.はじめに

いつものライブ考察とは異なるが、『Time flies』の特典映像であるドキュメンタリー『10年の歩み』が興味深いものであった。
やや発売から見るまでに時間がかかってしまったが、考察する価値がある作品かと思うので本サイトでも取り上げたい。

1.10年の歩み~他ドキュメンタリーとの比較から

『10年の歩み』、そのタイトルがまさにぴったりだったように思う。
結成から一年単位で振り返っていく構成になっており、10年歩んできたことがしっかりと感じられる構成だったように思う。
またアルバムの特典映像だから当たり前かもしれないが、記録映像としての側面を強く感じた。
素人の女の子がアイドルとして坂道を上るまでを描いた『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』、トップアイドルの苦悩と喜びを描いた『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』と比べ、かなり淡々と主観を交えずに展開されていた。
逆に言えば、ファンそれぞれが本人の記憶を交え懐かしむのが本作の王道の楽しみ方だろう。
例えば堀ちゃん推しの私はバレッタ期間の初々しい堀ちゃんを見て、乃木坂の世界で育った美しい蝶が芸能界にはばたく画を思い起こして勝手に泣いていた…。
そんなファンだからこそ楽しめる、特典映像らしい作品だったと思う。

2.選び取られなかった歴史

そんな作り手の主張が多くない記録映像ではあったが、編集が入る以上作り手の主観は介在せざるを得ない。
そこで『10年の歩み』の中でほとんど語られなかった箇所にスポットを当てたい。
これにより今の乃木坂がどのような歴史をいわば「捨ててきた」のかを振り返っていく。

①AKB48の公式ライバル

乃木坂は設立当初「AKB48の公式ライバル」という謳い文句で紹介されていた。
生駒ちゃんのAKB48兼任&総選挙参加や松井玲奈さんの乃木坂兼任など、AKB48を思い起こさせるような記録がほとんどなくなっていた。
忘れたとするにはあまりに大きい出来事なので、意図的に消したと受け取るのが正解だろう。

これが意図するところは二つあると思う。
一つ目はAKB48の人気が落ち着いてしまったことだろう。
これについては荒れそうなので、これ以上は触れないこととする。
もう一つは乃木坂46のアイデンティティが確立したからだろう。
清楚でおとなしくて引っ込み思案なんだけど、強くなろうと一生懸命で…。
そんな「乃木坂らしさ」が確立した今、他グループの名を借りる必要がなくなったというのが消された理由なのではないか。

②初期『乃木どこ』のバチバチ感

もう一つ、初期の『乃木どこ』に代表されるバチバチ感も「10年の歩み」には描かれていなかった。
今でこそ『乃木どこ』『乃木中』といえば乃木坂・バナナマンの仲の良さが伝わるほっこり感のイメージが強いが、初期は別物だったと思う。
「AKBが年一の総選挙なら、乃木坂は毎回選抜」という勢いで、メンバーが入れ替わり激しい争いが打ち出されていた。

この時期の乃木坂は立ち位置が定まっておらず、大きく2つの方法でライバルAKB48と差別化しようとしたように見える。
・過剰に競争を煽る
例:乃木どこ出演メンバーの争い、カメラ前での選抜発表、プリンシパル…
・お嬢様感
例:ゆったりとしたデビュー曲『ぐるぐるカーテン』、ロングスカートの衣装…
後者は今でもみられるが、前者はかなり薄れていったと思う
(プリンシパルのみやってるが、そんなに高頻度でもないし若手しか出ない)

乃木坂としてはイメージに反しているためこのバチバチ感の歴史は残さなかったのだろう。
ただこういった試行錯誤の結果、現在の乃木坂ができたことは書き残しておきたい。
まいやんがマヨラー星人だったように、グループ全体も試行錯誤の結果できたものなのである。

余談だが過剰に競争を煽るという手法は秋元グループでよく使う手段なのか、私にはラストアイドルの初期に復活していた。
(決してラストアイドルに詳しいわけではないので、最近は正直わからない…)
乃木坂を含むアイドル史についてもいずれ記事としてまとめたい。